ラジオ会館7階はマイコンの聖地

高校の修学旅行では、メイン行き先は京都だった。今だと飛行機で行くのだろうが、当時はそのような贅沢はできず、列車と青函連絡船の乗り継ぎである。旭川発朝7時台の臨時列車で昼過ぎまでかけて函館まで行って午後は連絡船で青森。ここで生まれて初めての本州入り、そして青森から上野までは常磐線経由の寝台特急ゆうづる」乗車である。次の日の朝に上野に到着し、ラッシュの山手線にもまれて朝8時前後に東京駅に。最後は新幹線で昼前に京都に到着するという1日半がかりのスケジュールで、今から考えるとかなりハードな旅程だった。我が校には制服が無かったが、大きな荷物をかかえる450名以上の集団は、他の人からは一目で地方からの修学旅行の集団とわかっただろう。日程的には京都に3日間、奈良に1日の寺院巡りであったが、私の大きな楽しみは、帰る途中での東京での半日の自由時間だ。自由時間といっても班単位での行動で、行き先や目的をあらかじめ決めておかなければならない。私の班は、事前の打ち合わせで私が班長に立候補した。これはもちろん班の行き先を秋葉原にするためである。このもくろみは成功し、班の行き先は銀座+秋葉原となった。銀座は単に食事をするためだけである。秋葉原に着くと私はラジオ会館7階に直行。他の人は(それではあまりにもかわいそうなので)近所の電気店を回ってもらうことにした。当時学校でコンピュータに興味を持っている奴など居なかったのだ。この頃はまだコンピュータ関係の情報は数種の月刊誌しかなく、地方に住む人には非常に情報に飢えていた時代だ。ラジオ会館の5階より上にはマイコン関係の店舗やショールームが集中しており(というか、ここにしか無く)NECのBit INN東京や日立のGAINなどで楽しい時を過ごせた。買い物は「コーディングシート」。これも旭川では入手できなかったもので、1冊50枚のものをはっきりとは覚えていないが恐らく50冊程度に購入して、小包で送ってもらうようにした記憶がある。
大学進学で上京してからもラジオ会館7階はほんとうによく通った。BitINNではいろいろな人と知り合い、TK-80BSを囲んで、これからマイコンをいかに応用していくかということを熱く語っていた人がいたのを覚えている。