中学〜高校時代にお世話になったといえば....

ネットにはどんな情報でもあるというのは嘘だと思う。「御幸電子」をGoogleで検索しても一件もヒットしない。これは「みゆきでんし」と呼ぶ。御幸電子は私の出身である北海道旭川市での唯一の電子パーツショップだった。(すでに廃業していると伝え聞いている)旭川時代の私の仲間内では今でのこのキーワードに結構反応してくれる人がいたりする。ここには小学校時代から「ラジオの製作」片手に通い詰めたものだが、マイコンが登場し、TK-80などが展示されるようになってからは各種マシンをよく触らせてもらった。一番よくさわったのはMZ-80K。これはシャープが「マイコン博士」という名前で1978年に商品化したキット式のコンピュータである。キットといっても現在の組み立てパソコンに近く、ICやLSIはどはすでの半田付け済みだったと記憶している。詳細はここに情報がある。この頃すでにTK-80BSが家にあったのだが、ビデオRAMに書き込むとノイズがでてしまい、特にアセンブラを使うと「吹雪状態」でまともにみられたものではなく、また標準状態では音もでなかったので、もっぱらMZ-80Kを店頭でいじって遊んでいた。展示用マシンなので、当然椅子などあるはずもないのだが、しゃがみ込むスタイルで長時間使っていた。学校が休みの日は食事も忘れて一日中触っていた。平日は家でプログラムを考え、ノートや新聞広告の裏にボールペンでコーディングし、日曜日朝から店に押しかけ一気に打ち込む。デバッグして夕方にテープにセーブして持ち帰る....ということの繰り返しだった。ゲームのプログラミングでアセンブラを使うときは、アセンブル手段もデバッグ手段もなかったが、ハンドアセンブルはTK-80で慣れていたので、それほど苦にはならかった。インテルCPU(8080)で使えなかった相対アドレッシングモードが8bitレンジという制限付きながらザイログCPU(Z80)では利用できたので、パッチ当てなどの作業が楽だったと記憶している。自宅(+学校授業中)机上プログラム+店頭でバッグのスタイルでBASIC+機械語でゲームを作成し、当時のアスキー誌に投稿したことがあるのだが、残念ながらボツになってしまった。文句も言わず(実は結構言われていたが)マシンを使わせていただいた御幸電子のA店長に感謝である。
私がMZを使っていたという証が、たったこれだけだが残っていた。

I/O '80/3 SP-5020の使用レポート 中屋 広樹